コーヒーを、奥行きのある味にいれることができたときは
彼のことを思い出していた
もしかしたら
初めて飲んだコーヒーは伯父がいれたコーヒーだったのかもしれない
それは勿論お砂糖と牛乳がたっぷりはいったものだったと思うけど
奥行きのある人だったと思う
いつももの静かで煩いことを言う事のない大人だった
けれども、大事なことを言うときは
目立つ声でないけれど
大切な形で話してくれた
そしていつも子供たちが「わっ」と沸くようなことを計画してくれた
彼の子供を含む同年代の従兄弟たちが集まるような
夏休みや冬休みに伯父の家にいくことは
胸が躍るような楽しみだったことは
絶対に伯父のいたずらのような計画が影響しているはずだ
その伯父の葬儀で初めて知ったこと
伯父の家業はなんとなく知っていた
でも、それは父の実家の長である伯父の仕事のことであり
じつは、それとはまた別に町や社会に対して多大なる貢献をしたということを
わたしは知らなかった
そこで関わった人たちが、葬儀で声を震わせて惜しむ
私のしらない伯父を語る
それはきっと、伯父が、自分語りを好まなかったために
わたしが知らなかったことだったのだろう
わたしも大人になり、別の町で、似たようなことを目指している
(伯父の功績に比べたら、そのまたシッポの先の産毛に掴まっている程度のことだけど)
そのことを初めて知って
生前にもっと、話をしたかったとか、情報をききたかったとか
そんなことも思わなくもないけれども
そんなことより、伯父の姪っこであることを誇りに思った