あさはかな深掘り

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カテゴリ:こと( 38 )


2011年 04月 10日

4/7余震Ⅱ

自宅は幸い停電も断水もなかった


泣いてしがみつくフーコを寝かせつけたあと
たいした被害ではないものの
すこしの落ちて壊れたものを片付け
テレビの電源をいれた


報道によると思ったより被害が大きい


自宅のある場所は震度5弱ということだけど
職場のある場所の状況は速報すら流れない
一体どうなってるのだろうか

職場に電話をすると
既に駆けつけている人がいて
スプリンクラーの管が壊れて
水が出てしまったということを聞いた
それは、予定していた再開店は少なくても延期になった
ということを意味した


ますます気持ちが沈む
タクシーを利用しての出社の許可を貰い
そのまま朝を迎えた


目覚めたとき
気分は最悪だった
とにかくくさっていた
地下鉄だって動いていないに決まっている
そうなればタクシーだってつかまらないのに決まっている
だけど職場にいかないわけにはいかない
くるなと言われてもいかないわけにはいかない
一体どうやって・・・とかんがえていたのだけれども
意外にも地下鉄が動いていたので驚いた


驚いたと同時に
夜を徹して
点検と復旧作業をしていたひともいる
ということに気づいた
そして、地下鉄以外にもライフラインに関連することで
大変な復旧作業をされた方は
私の想像におよばないような各方面に沢山いただろう


それに気づいたときに
「あ、うっかり被害者意識に支配されそうだったしっかりしなきゃな」
と思った




しかし職場に着くと
被害の大きさに圧倒された
この余震は、仙台市内でも被害に地域差がある
北寄りに被害が大きかったように感じる
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by spatspipin | 2011-04-10 21:59 | こと
2011年 04月 10日

4/7余震

その頃はもう眠っていた

なかなか寝付かないフーコをなだめすかしながら
いつの間にか一緒に寝ていたような
そんな夜だった
忘れていた頃、といえば
そうかもしれないと思う


大きめの地震は揺れ始めに
どこからか”ごごごごごごごご”という音がすることが
あの日以来、解るようになってしまった
その音で目覚めた

「パパ」と呼びかけたと同時くらいに
大きく振れた


そのときわたしは
怖いという気持ちは全くなかった

「またか」
「あした地下鉄動くのかな」
「折角ガスが復旧したばかりなのに」
「ラジオどこやったっけ」
「原発・・・」
「津波・・・、あ、既にみんな避難してるから大丈夫だよね」
「職場・・」
「やっとここまできたのに・・」



わたしは
何百人もの人が働いている、大きな建物のお店を運営している会社で働いている

3/11以降、慎重な安全点検と厳重な修繕を続け
やっとのことで全店の再開店を迎えるところまであと1日といったところだった


安全確認がなされぬまま、見切り発車でお店を開けて
何事かがあってはいけない
だけれども、お店が動かなければ
お客様だって暮らしに困る

しかし困るには困るわけだが
・・・
こんなこと言っちゃなんだけど
最悪、お客様は他のお店で買い物できるのかもしれない
他のお店が営業していればだけれども

でも
従業員は、働けない日が続けば
その日数分、お給料をもらえない
そんな雇用条件で働いている人も多いのだ

もっと言えば
お店が動かないことで
営業できないお店は
その営業できない日数分の売り上げが出ない
それが経営に直結しない会社があるんだろうか

東北や北関東を中心に展開している企業だけの話ではない
全国的にも消費マインドの変化があるだろう
計画停電に振り回されていることもあるだろう
全国規模の会社だからといって
決して安心できる状況ではないのだ

ましてやここは被災地である
住まいの場所や、会社の場所や
本人はともかく家族や親戚、知人
いろんな状況に遭遇している人たちがいる

そんなんもこんなんもあって
心をすり減らしていた
とおり一辺倒な言葉はかけられない
自分たちが頑張るといっても頑張りのしようもないまま
兎に角、どうか、どうか、
一日でもはやく営業再開できるように
祈るばかりだった

それがこの瞬間
「また崩れてしまった」と
思った


もう「面倒くさい」
とおもってしまった
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by spatspipin | 2011-04-10 21:26 | こと
2011年 03月 23日

笑った

明日から出社するつもりで、ハラを決め、なけなしのガソリンつかって実家まで大荷物かかえて行ったら会社から電話。

「実家から通うのであれば出社okだが、それが不可能で子供といつあえるのか解らない状況になって出社するのは社としてNG」
でも!でも!と反論するも一切認めてもらえなかった


子供は勿論一番大事だけど
仕事を持ちながら子供をもうけたことである程度育児を犠牲にすることは当たり前のことだとおもっていた
子供自体は、祖父母のもとで過ごすことはなんていうことはないはずで
どちらかというと子供と離れてつらいのは私の方だと思っているのです

でも、わたしの意見は強くはねられて
それ以上言ったところで受け入れてもらえるはずはなかったので

「わかりました」
と言った

そしたら
「あなたの性格上、今「わかりました」と口先だけで言っていることはわかっているんですよ!?」
と言われて

笑った
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by spatspipin | 2011-03-23 12:43 | こと
2011年 03月 21日

自宅待機命令

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その後しばらく職場からは自宅待機を命じられ、専業主婦状態
理由はガソリンがなくてフーコを送り迎えできないため
なんて理解があって
優しい会社、優しい仲間なんだろう
育休が終わって以来、やっと子育てしている感を満喫している次第
申し訳ないほど幸せ
それはきっと
あの離ればなれの夜を経て思っている事
どうやら薬になったもよう
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by spatspipin | 2011-03-21 22:42 | こと
2011年 03月 21日

3/12@朝

そのまま私は一睡もできず朝を迎えた

明るくなるにつれ、気持ちがだんだん楽になるのがわかる
後輩はほんの少し眠る事ができたようだった
5:30頃、彼女の父親からメールが入って車でこちらへ迎えにくるとのことだった
彼女の家と方向的には同じだったので
わたしも同乗させてもらえることになった

しかし、フーコが居るはずの実家に向かうべきなのか
それとも、もしかしたら夫が待っているかもしれない自宅へ戻るべきなのか

実家へ行けばフーコに会えることは間違いないが
そこに夫がいなかったら?
まずは自宅に行こう
停電だとはおもうが、自宅にもどれば電池式の充電器がある
そこで携帯をまずどうにかしよう
そしてそれぞれに連絡をとればいいのだ
実家までは歩いてだって行けるのだから


わたしたちは、カイロをくれた女性とラジオをきかせてくれた男性に礼をいって
教室をあとにした




自宅に近づくと
駐車場に車があって
中をのぞくと夫とピピンがいた
夫は眠っていたが、窓をたたくと慌てて飛び起きた
実家に行こうか迷ったが、連絡がつかないわたしを一晩そこで待ち続けたという
わたしと同じで
フ−コは父母がみているのだから大丈夫だとおもったそうだ
わたしが送った居場所のメールはやはり届いていなかった
わたしたちは離れた場所で同じ気持ちで一晩過ごしたのだ

フーコを迎えにいくまえに部屋に戻ると散乱してはいたが
思ったほどの被害ではなかった
本棚やCDラックからはでに落下してはいるものの
まず、割れ物がない
片付けることもしないまま、フーコのいる実家へ向かった





長くなったけどこれが大地震の日にわたしが体験したこと
あらためて言葉にしたら
たいした事はなかったな、と思う

その数日後の寒さときたら
あの日の比ではなかった
その頃も、もっと被害の大きい地域では
わたしがたったの一晩過ごした避難所のような場所で
さらなる寒さに耐え、その上食料もなく
衛生状態も悪化し
中には連絡のとれない家族の事を案じ
辛い思いをされている人たちが沢山いる

そして今も・・・・・・
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by spatspipin | 2011-03-21 21:57 | こと
2011年 03月 21日

3/11@避難所

でもそれは感覚が同じではないだけのこと
子供たちを「煩い」と感じたひとを責めるつもりはない
もしわたしが子供たちに「いいぞもっとやれ」と言ったとしたら
その人は「あいつとは一緒になにかをすることはできない」と思うはず



話はすこし前に戻る

寒かった
避難所はとても寒かった

避難所であるその中学校にたどり着いたとき
てっきりわたしは体育館に通されるのだろうとおもっていたのだが
体育館だけでは間に合わないほどの避難者の数
体育館はすでにぎゅうぎゅうにひしめきあっていた

ひろいひろい体育館にひとつだけ石油ストーブがあった


その体育館を通り抜け、わたしが案内されたのは3階にある教室だった
すでに他の教室はいっぱいになっていたうえ
通されたその教室にも30人ほどの人が横になっていたり
足をかかえていたりして過ごしていた


他の避難者は、避難するために防寒具や簡単な寝具を持ってそこにきていた
わたしはその中で、ラジオをもっている男のひとに
「そばで聞かせていただいてもいいですか」と聞き
そこに座った



言い忘れていたが
そのときわたしは一人ではなかった
ひとまわり以上年下の後輩と一緒にそこにたどり着いたのだ
彼女は私以上に薄着だった

わたしは彼女と自分のために教室を出て
段ボールでも新聞紙でもわけてもらえないものかと
ボランティアの係員に掛け合いに行った
しかし段ボールはなかった
いや、少しはあった
しかし、高齢者や小さい子供のためにとっておきたいと言う

フーコのことを思う

実はフーコのことはわたしの父母がきっちり守っていてくれると信じて
あまり考えないようにしていた
だけど「小さな子供」という言葉をきいただけで
また、どうしようもなく不安感を盛り上げてくれる
なにもない、なにもない
なにごともなく、もう、今頃はあの寝息を立てて
父母がそれを見て微笑んでいるはずだ
ブン、とかき消す


教室へ戻ってまた体を縮めて凌いでいると
ボランティアのスタッフがブランケットがある・・と伝えにきた
わたしはそれを受け取った
これで少し楽になると思ったのもつかの間
新品のそれをビニール袋から出してみると
ハンカチくらいの大きさしかないものだった
わたしはそのビニール袋に両足を入れ、ハンカチくらいの大きさの”ブランケット”を
足首に巻いた

そばで毛布にくるまっていた女性がカイロを私たちにくれた
わたしは遠慮なくそれを受け取った


少し眠りましょう、横になりなさいと、後輩の女の子に言って自分も横になった
しかし眠れるわけはない
タイルの床から体に染みてくる寒さ
フーコと父母のこと
夫とピピンのこと
道の途中ではぐれてしまった上司のこと
ラジオから聞こえてくる津波のこと
なにをとっても眠れるものではない


むくり、と後輩が起き上がった
「どうしたの?」
「心配で・・・」

彼女は家族と既に連絡がついていた
そのときに、祖母の家が流されたということをきいたと話していた
そのことかと
「おばあちゃんのことは心配だけど、ご家族もいるのだからきっと大丈夫だよ」
と知ったようなことを言った
すると
「おばあちゃんは多分大丈夫なんです。心配なのはつき合っているひとのことなんです」

すこし前に彼はいないと聞いていたので
いつのまに彼ができたの、と、こんなときなのになぜか嬉々としてしまう


「彼の家、荒浜なんです・・・」

そのころ荒浜で200〜300人もの人の遺体が見つかったと
ラジオから聞こえていた

わたしは不器用なたちだ
だれかに悲しい事や心配事が起こったときに
美しい言葉や優しい言葉をかけるということができないのだ
そのときも、わたしの口からどんな言葉を発したんだったか
とてもくだらないことを言ったか
もしくは、なにも言わなかったのかどちらかだろう
そして、できることならなにも言わなかったほうであってほしいと今思う


幸い、ほどなくして彼からは連絡があった
そのあと、わたしにも夫からの例のメールがあったので
わたしたちは少しはほっとして横になったのだった
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by spatspipin | 2011-03-21 21:31 | こと
2011年 03月 20日

3/11@さまよった

家族と連絡がつかないまま歩き続け夜を迎えてしまった
何度も何度も携帯電話をリダイヤルする
3月の夜、この町はとても寒い
かじかんだ指は携帯のボタンひとつ押すのもままならない

公衆でんわにひとがずらりと並ぶ
「公衆電話は連絡がつく」と聞いて
わたしも並んで電話をかけた
だけどもそれはただの憶測だったようだ

次第に携帯電話の充電もなくなってきた


電気の消えた町は闇
19:30
そんな時間はまだ仕事をしているだろう
だけど、取り返しがつかないくらいの闇に感じた

そのうえハイヒールを纏った足は
最初はつま先そして足裏
順番に
すね、ふくらはぎ、足の付け根と
「もうダメ」と伝えてくる

市街地にほど近い中学校である避難所へとりあえず避難した
いったん足を休めようというくらいの気持ちで



避難所にいったん腰を落ち着けると
ラジオで津波の情報がはいってくる
その情報はわたしの想像をはるかにこえていた


歩いてでも自宅へ帰った方がいいのか
それともこのままここで朝を迎えた方がいいのか
悩んだ
家族と連絡が取れないまま悩んだ


フーコはとりあえずわたしの父母と一緒にいる
その地域に津波の影響はなさそうだ
夫は大丈夫だろうとおもうが
ピピンはどうだろう
家のなかはひどい状況だろう
割れたものを踏んで怪我をしているのではないだろうか
家具の下敷きになっているなんてことはないだろうか
わたしが夫なら、最初にピピンを救出して
そのあとフーコのいる実家へ向かう
なにごともなければ彼もそうするだろう、信じよう
いまこの暗闇のなか動きまわらないほうがいい

そう考えた

携帯は圏外になってしまった
ラジオからわたしの使っている携帯のキャリアが規制されたと聞こえた
とっくに電話をかける事をあきらめていたが
あらためて本当に不安になる

22:30頃、突然メールの音が聞こえる
夫からのメールだった
「ピピンを救出していまは車のなかにいる」
「いまどこにいる」
この二通
取り合えずほっとし、いまどこにいるのか伝えるメールをした
これが届けば迎えにきてくれるはずだ

しかしそれは届かなかったようだ




深夜になるにつれて寒さが本当に堪える
ビジネス仕様の服装
所持品に防寒具などなにもない


その避難所に中学生くらいの子供たちがいた
子供たちはなぜか子供たちだけで避難していた
そのなかの一人の子供に親から連絡がはいって今から迎えにくるということだった
子供たちが「わあ」っと沸いた
わたしは人が沢山いるにもかかわらずしんとした避難所に「わ」っとほんのり温かい火が灯ったように感じた
だけど感じ方は人それぞれなんですね
子供たちが急に元気になっておしゃべりをはじめると
そばにいた大人が「静かにしてください」と言った
子供たちはしん、とした

わたしは静けさが怖くて、寂しくて、堪らなかったので
子供たちにもっともっと騒いでほしいくらいだったから
それを言った大人に対して
”あいつとは絶対に一緒になにかすることはできないな”
と思った
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by spatspipin | 2011-03-20 21:26 | こと
2011年 03月 20日

3/11@職場

職場が揺れた

「この揺れ方はまずい」と、上司が言ったと同時に
携帯の地震警報が鳴り響いた

即座に売り場に走り出したが
売り場に出たところで立ってはいられなくなった
照明が非常灯に切り替わる
人の叫び声が聞こえてきそうなものだが
なにも聞こえない
建物の軋む音以外は


「まずいことが起きている」とおもった


少し揺れが収まったころ
再び走り出した
売り場ではお客様と従業員が叫びも騒ぎもせず、なにも言わず
体をちいさくかがめている


今思えば、そんなことはないだろう
わたしの耳に入ってこなかったということなのだろうか


そのあとは、もう無我夢中だった
とにかく誰も痛手を負う事がないように
走りながら避難経路を指示した
ガチョウがノドを潰したような声で怒鳴りながら


途中でタグのついたクッションが落ちているのに気づいたので拾った


冷静になったころに
それを携えている自分が
火事のときに枕をもって逃げたマンガの登場人物みたいで笑った





幸い、当時点では大きな怪我もトラブルもなく
ひとしきりことが終わった
あまりにも興奮状態にあると人は寒さや疲れを一時的に感じなくなるようだ
やっとのことで寒いことなんかに気づいた
あの日は雪が降っていたのだ


そのとき時計をみると17:00だった
わたしは何をおもったのか
いまから店の外へ貼る案内のポスターを作ったり、だれかやなにかに連絡をとったり、なにかしら片付けなどをしなければならないと思っていた
今思えばことの重大さを理解していなかったのだ


できるわけはない
電気も電話もストップしているのだから


2時間ぶりか?に事務所にもどって愕然とした
足の踏み場もないというのはこれのことか



そのあとは歩いた
とにかく歩いた
しかしあたりが暗くなり
もう歩けなくなってしまった

電気が通らない町というのはこれほどまでに暗いのか



家族の誰とも連絡がつかない
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by spatspipin | 2011-03-20 20:36 | こと
2010年 11月 04日

おばあちゃんとスパッツ

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スパッツの命日

おばあちゃんのフォト
anieroo design

おばあちゃん、スパッツ、いつもありがとう
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by spatspipin | 2010-11-04 22:54 | こと
2010年 10月 06日

よしとしようか

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ピピン:
「よし、さすがおれの弟子。おしえたとおりやっているようだ。」
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by spatspipin | 2010-10-06 22:33 | こと